【読書メモ】ナナメの夕暮れ

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大きな敬意を払った上で敢えて言うと、本当に若林さんはクソ野郎だ。本当に微妙な人間の感情を言葉にするのが上手。というか言ってしまう。それは「これ以上言ってしまうとよくない」と常人ならば本能的に蓋をしてしまうようなことまで考えを巡らせることができるということだ。普通の人だと考えるのが億劫で憂鬱になることまで考えてしまう。

単純に抱いている感情が似ているという以外にどこか共感してしまう。たぶん、上述しなように、誰もが抱えて見てみないふりをしている自分の弱さととことん向き合って、さらけ出しているからなんじゃないか。人は他人の悩んでいるところを見て安心する。あぁ、こんなに成功した人でも、抱えているものって、僕のような凡人とおんなじなんだって思える。

前作は20代までの若林さんの生きづらい人生が描かれていた。今作はそれ以降、40歳を迎えられた若林さんが、30代を通して感じてこられた生きづらさが一冊に凝縮されている。

体力の減退で考える30代の生き方

自分はまだ30代に入ったばかりだから、20代の頃からの劇的な体力の減退を感じているわけではないが、そのときは生きている以上必ずやってくる。そして若林さんが体力の減退と同時に感じている変化で問題だと捉えたのは「スベっても動じなくなった」こと。以前なら収録で滑ったら寝るまで悶々としていたところ、「俺って10年間このぐらいしかできないもんな」と開き直ってしまうようになったようだ。そしてものをつくる人にとって生命線の「創作意欲」も低下していく。これまでと同じ熱量でいいものをつくろうという気持ちを持てなくなる。そして気づいた「悩むことは体力がいる。おじさんになって体力がなくなると悩むこともできなくなる」ということ。先の動じなくなったというのは、動じるための体力がなくなったと言い換えられる。

そんなとき若林さんは20代の頃聴いていた音楽を聴いたり、学生のアーティストの個展に行ってみたり、その意欲を取り戻そうとした。しかし何をしても創作意欲にあふれている人たちの熱量に浮かされてしまうだけの日々が続いた。

そんな中で決まった「オードリーのオールナイトニッポン」の10周年記念ツアーの話。失敗はできないという責任感が沸き起こった。それまで自意識と自己顕示欲と承認欲求をベースにつくっていたネタの作り方を意識的に変えてみた。そしてライブ当日。感じた緊張感には感謝すら覚えた。まだ緊張できるなら俺は全然大丈夫だ。

歳を重ねることでエネルギーを上に向けられなくなるのはしょうがないこと。そのエネルギーを正面に向ける方が、奥が深いのかもしれない。それに気付けたのは過剰な自意識を連れ去ってくれた「体力の減退」。自意識過剰な人間は、歳を重ねると楽になって若返る

 

奥行きをつくるということなのだと理解した。それまで高い低いの「面」でしか捉えてこなかった判断基準を立体にする。30代は
・これまでの自分の経験を軸に定める
・その世界では仮に既に成功者が居たとしても、その背中を追う必要はない(必ずしも上を目指す必要はない)
・自分の経験や知識は財産。その経験や知識を正面に向け、さらに奥行きをつくっていく

30代で意識すべき視点を若林さんから教わった。そこまで自意識過剰とは自覚していないが、根拠のない自信からくる「俺はこんなんじゃない」というプライド(≒自己顕示欲)も体力の減退が連れ去ってくれるのかな。いずれにせよ、30代は楽に生きたい。

 

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