最近仕事でキャッチコピーを作る必要に迫られ、センスがない中、必死に考案した。(上の宇多田ヒカルさんのキャッチコピーをつくったわけではない)
世の中にはキャッチコピーが溢れている。溢れまくっている。ネットを開けばそれキャッチコピー。電車に乗ればそれキャッチコピー。たいていのキャッチコピーに、僕たち消費者が心を動かされる事は、まずないだろう。キャッチコピーに感動してそのものを買ったり、サービスを利用しようと思ったり、何か行動に移そうと思う事はほぼない。
でも、中には「このキャッチコピー、日本語としておもしろいな」と思うものに出くわすことはしばしばある。特に、このキャッチコピー考案を迫られてからというもの、自分がなかなかにセンスがなくていいものがつくれないものだから、しれっと「フツーにいい」キャッチコピーが広告などに表記されていると、「いい仕事してるじゃないか」と、なぜか上から目線に感じることがある。日本語として美しい、面白い、楽しいキャッチコピーを見つけると、なんかその日は嬉しかったりする。
そうなると、町を歩いたり、ネットを開けばキャッチコピーにしか目がいかなくなるのだが、とあることに気付く。
ーーー、ーーー。
という、コピーが本当に多いことだ。
みかける日本語の、短めのキャッチは、7割くらいがこのかたちをとっているんじゃないか。本当に意識し始めたら、お前もそうか、というくらいに多い。
・「主語と形容」や「目的語と述語」など、短い言葉で伝えたいことを伝えやすい
・言葉にしたときのリズムがいい
・見た目がいい
・ないと、せっかちな感じがする
など、それらしい理由は考えられる。確かに、このかたちは理にかなうものなのだ。
そうなると、意地でもこの形には収めたくなくなるのが性ってもんだ。
結局、自分が考案したキャッチは句読点、読点を使わずに言い切りスタイルにした。やっぱり、なんかせっかちな感じになった。メッセージを一方的に押し付けている感じになった。だから、僕は素人がキャッチコピーをつくるのであれば、全力で型にはめることをおすすめする。
流行るのには理由があるんだと感じた。そして、言葉は生き物。数年後、どのようなスタイルのキャッチコピーが世の中を席巻しているのだろうか。
※もしかしたらこの下に表示されているアドセンス広告も、ーーー、ーーー。かもしない。
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